最終的な判断を延期すべき

2011.03.31

もしアメリカ人が、医療ニュースにもっと批判的な態度で反応するなら、繰り返される根も葉もない健康関連の恐怖にそれほど過敏にはならないだろう。私達はいかに反応すべきか。懐疑主義という薬を一服、多めの分量で必要だ。懐疑主義は冷笑主義と同じではない。例えば、何かの食品、習慣、医療デバイスが危険だという報道があれば、人々は自問すべきだ。そのニュース源がいつもは信頼できるのか、情報源は一つなのか多いのか、言われている危険は大きいのか小さいのか、その事についてすでに知っている全ての知識と矛盾しないかと自問すべきだ。そうしてみて、その証拠が圧倒的でもなく問題が緊急でもないのなら、最終的な判断を延期すべきだ。さらなる情報が入るまで頭の中の棚にその情報を置いておけばよい。全てのアメリカ人が、そういう予備的分析ができるほど物知りではないし、少なくとも全ての場合にできるものではない。しかし私の考えでは、たいていのアメリカ人は今よりはずっとうまくできるだろう。それなのになぜしないのか?考えられる一つの理由は科学的恐怖の娯楽的価値にある。古典的なフランケンシュタイン的主題に変型を加えてはいるか、最近の本と映画はそのことを十二分に証明する。『ホット・ゾーン』(HotZone)と『アウトブレイク』(Outbreake)(訳者注、極秘管理の手から漏れた伝染病ウィルスの恐怖を扱う本と映画)はその一例だ。フィクションとノンフィクションの境界がメディアにおいてますますぼんやりするにつれ、医療上の危険に関するニュースがいくらか娯楽的価値を帯びる。携帯電話が脳腫瘍の原因かもしれないという報道、あるいは近くの原子力発電所が安全でないという報道は興味をそそり、友人との会話がその話題で活気づく。豊胸材の、あるかもしれない危険と、それを隠蔽しようとする陰謀に警戒するようにコニー・チャンが気づかせてくれたことを思い出そう。
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